作詞:小室哲哉 作曲:小室哲哉 プロデュース:小室哲哉 歌:YU-KI(trf)
公式タイアップ:フジテレビ系ドラマ「17才-at seventeen-」主題歌
1994年5月25日発売 (avex trax)
trfの通算6枚目のシングル作品。
曲調は2ndシングル「EZ DO DANCE」のようなハイパーテクノ調を全面に出した感じではなくではなくテクノポップ調となっている。
90'sのダンスミュージックをクリエイトするコンセプトで1988年に始まったavex traxのレーベルを一般層に知らしめるのに一役買った曲である。
小室哲哉プロデュース楽曲の快進撃が今後数年に渡って続く事となりましたが、この曲がその口火を切ったと言っても過言ではない。
また、フジテレビ系ドラマ「17才-at seventeen-」の主題歌としてドラマの最後に流され、
高校生の役柄とした登場人物(内田有紀等)が走り回ったりするドラマの世界観と相まって
当時の中高生を中心に共感を呼び、初のオリコン初登場1位と100万枚のミリオンセラーとなった。
その翌月にもシングル「BOY MEETS GIRL」を立て続けにリリースし、trfの人気は不動のものとなっていった。
注意:この部分は、曲に関する個人的な思い出やエピソードを長く語っちゃっています。
特に興味のない方は、適当に流していただいてOKです。
人の思い出話に興味のある方だけじっくりと読んでみてください。
この曲の1つ目の思い出ですが、当時の私は内田有紀ちゃん(今で言う広瀬すず、10年ぐらい前だと長澤まさみポジ)が大好きでした。
とにかく内田有紀ちゃんが出ているドラマだったら何でも録画して見ていたんですよね。
もちろんこの直前(1994年Q1)に放送されていた「時をかける少女」も見ていました。
それと同時に、5thシングル(前作)「寒い夜だから…」の頃からtrfのサウンドにも虜になっていった。
1994年Q2、高校2年生になった私はいつものようにラジオのエアチェックや気になるテレビ番組のチェックをしていたところ
"内田有紀主演ドラマ「17才 -at seventeen-」が4月下旬よりスタート、主題歌にはtrfの新曲が使われる"との情報が入ってきたので
"内田有紀×trf"これはまさに奇跡の組み合わせだ、このドラマは何が何でも見なければならない"とバイト代でVHSのビデオテープを買い込み
満を持して「17才 -at seventeen-」の第一回の放送を視聴しながら録画しました。
ドラマの終わり部分で「survival dAnce ~no no cry more~」のドラマ版が流れたのですが、この曲を初めて聞いた瞬間私はいい意味で絶句した。
まさに私が"こんな感じの曲だったらいいなあ~"と思ってたそのまんまのテクノポップ風の曲調だったのですから
小室哲哉の楽曲は、TMN等で中学生の頃から既にハマってはいましたが、trfで「EZ DO DANCE」や
「寒い夜だから…」とはまた違ったタイプの曲を聞いてみたいと思っていた所に
「survival dAnce ~no no cry more~」のこのサウンドが飛び込んできた時は、マジでいい意味で鳥肌が経ちましたね。
"早くラジオでフルコーラスがオンエアーされないかなあ~早くCD発売されないかなあ~"と音源が手に入る日をすっごく楽しみにしていました。
そして5月24日、近所のCDショップでフライングゲットした時は本当嬉しかったのを今でも思い出します。
初めて買ったシングルCDだった米米CLUBの「浪漫飛行」に次いで、今でもここまでの人生で2番目に好きな曲です。
シングルCDをGETした直後には、約1ヶ月毎のサイクルで編集していたJ-POPを集めたカセットテープである
「1994年5月のJ-POP」の7曲目に満を持して入れました。
前の年の晩秋にゴミ捨て場で拾ってきたSONYのカセットデッキ「TC-FX5C」でDOLBY NRをBモードにセットして録音したんだっけなあ~2つ目の思い出は、楽しかった高校生時代の思い出を彩った青春の一曲でもありました。
「survival dAnce ~no no cry more~」が発売される少し前ぐらいの高校2年の5月頃から突然、人生で2回目のモテ期が始まりました。
とにかくこの頃は学校の休み時間が楽しみでしょうがなかったですね~
CD発売後には、高校の休み時間にCDを手に持ちながら休憩スペースに居た所、女子に「それ知ってるよ、trfでしょ」と話しかけられたりと
この曲の話題が出た事などもあって、私の思春期の恋のキューピッドにもなったりなんかしましたね~
あと、7月の学校祭ではBGMでも流れていて、その時に好きだった女子と会話をしていた思い出なんかもあったりします。
秋の修学旅行にも修学旅行中に聴くために特別に編集したカセットテープに入れて持っていって、バスでの移動中にウォークマンで聞いていたなあ~
修学旅行では沖縄に行ったので、沖縄での思い出にも別の曲である大黒摩季の「夏が来る」の場合と同様、この曲が出てきます。
いやあ~楽しかった高校生時代に戻りたいですね~そして3つ目の思い出は、その後のメインの趣味になるDTMでこの曲を打ち込みで作ったことです。
2つ目のモテ期の思い出とは別に、同じ高校で当時一番仲良くしていた男子の友人の家でDTMを知る。
その友人の家にはMacintosh LC3がありました。それにインストールされていたVisionというソフトの再生ボタンを彼が押したら
当時視聴していたテレビ番組「タモリの音楽は世界だ」のコーナー「デジタモドン」のクイズに出てくるような音色で
TM NETWORKの「GET WILD」が流れてきました。「俺はこんな感じで好きな曲のコピーを作ってるんだ、お前もやってみるか?」と彼に言われて
MIDIキーボードとソフトの初歩的な使い方を教えてくれました。それから私は度々彼の家に行っては曲のドラムパートとベース、
そしてピアノのメロディーを入れていきました。ただ、やはりあまり時間が取れなかったので完成まではいきませんでした。
それから約2年後、高校を卒業した私は専門学校に進学しました。その専門学校にはDTMができる環境が揃っており
インストールされているソフトも高校時代の友人が使っていたVisionのより新しいバージョンでした。
私はその専門学校でDTMに関するより詳しい知識を付け、本格的にこの曲の打ち込み作業を進めていきました。
細かい音色の調整、そして他の細かいシンセパートをCDのオリジナルカラオケから耳で聞いては追加していきました。
何度も細かい修正・調整を重ねて次の年である1997年5月に納得のいく形で耳コピによる打ち込みが完成しました。
中西圭三や華原朋美等の他の好きな曲を同時進行で作ったり、もちろん専門学校の音楽制作の授業や課題等で作るべき曲も作っていました。
だからこそ、納得のいく形でこの曲「survival dAnce ~no no cry more~」のデータの完成に1年以上かかった訳です。
最初の頃は、授業で作る曲よりも「survival dAnce ~no no cry more~」の打ち込みに没頭していた感じはありましたが…
尚、この3つ目の思い出のエピソードは、別途ページであるMIDIシーケンサ「Opcode Vision」への思いの方でも語っています。
そんな数々のエピソードがあり、「survival dAnce ~no no cry more~」は私の人生にとって特別な曲の一つであります。
1994年5月のJ-POP *5月中旬作成 | 1994年6月のJ-POP *6月中旬作成 | 1994年7月のJ-POP *7月下旬作成 |
1994年8月のJ-POP *8月下旬作成 | 1994年9月のJ-POP *9月中旬作成 | 1994年10月のJ-POPS+修学旅行特別編集 *1994.10.27完成(この曲はB面の修学旅行特別編集の部分に入る) |
外出用お気に入り曲寄せ集め(trf、B'z、etc...) *1994年11月下旬作成 |
1994年5月(R)1995 *1995年リメイク | 6月のJ-POP特集 '91~'94(晴天バージョン) *1995年6月上旬作成 |
6月のJ-POP特集 '91~'94(雨天バージョン) *1995年6月上旬作成 |
MAY SELECTION #2 (1997.5.2.FRI) *1997年MD版リメイク |
SEPTEMBER SELECTION #2 (1997.9.10.WED) *1997年MD版リメイク |
May Selection for WALKMAN #2 (外出用) *1998年5月15日作成 |
June Selection for WALKMAN (A面晴天・B面雨天) *1998年6月中旬作成 |
July Selection for WALKMAN (外出用) *1998年7月上旬作成 |
May Selection Complete Edition #2 *1999年5月上旬作成 |
June Selection Complete Edition *1999年6月上旬作成 |
199405.m3u *2002年音楽プレイヤー用playlist |
注意:以下のリンク、バナー等は広告です。
楽曲の視聴や購入を検討されない方は広告主様のご迷惑になりますので
無用なご利用はご遠慮ください。